誰かといてもいつも寂しい、そんな心の1人ぼっちを感じやすい方。
また、今まさに大切な人と分かり合えない孤独を感じている方。
そのような方が、寂しい気持ちを抜けるご参考になれば…という実体験からのコラムです。
よろしければご覧くださいね。
「孤独感」を越えるには
はじめに答えを言ってしまうと。
孤独感の壁を越える鍵は、自分からより深く相手を理解しようすること、なのかと思うのですね。
なぜ、それで孤独感の壁を越えられるのかというと。
「心の壁がある、わかってもらえない」というのは真実ではなく「そのように感じている自分がいる」という状態です。
ではなぜ、そのような状態になるかというと。
人生のどこかで、誰かに、わかってほしい・理解して欲しいという願いが叶えられない失望を何度も経験することで、「自分はどうせわかってもらえない、誰とも分かり合えないんだ」という孤独な観念ができることがあるんです。
(観念とは、強い思い込みのことです)
その孤独の観念を持っているときって、心理的に引きこもったような状態で、意識は自分に向いて閉じています。
孤独感の壁を越えるには、その自分に向いて閉じた意識を外へ向けることが必要で、その鍵となるのが、「相手を理解してみよう」という意欲なんですね。
ただ、意識が閉じてる時ってそれに気づくことも難しくて、私の場合は長い間、この孤独な世界が当たり前だと思っていました。
だけど、それって変えられるんです。
その一つの例として、私のお話をさせてくださいね。
私の孤独感の遍歴
寂しさから家族に心を閉じた子供時代
私自身、かなりちいさな頃から自分はわかって貰えないって思っていた人でした。
それはきっと子供の時、家族に対しての私の願いが叶えられなかったことが原因かと思います。
私が家族に願ったこと、それは「みんな仲良くしてほしい」ということ。
私が小さい頃、家には父、母、妹、祖父、祖母がいて、6人家族でした。(ちびまる子ちゃんのおうちと同じ家族構成です)
ただ、我が家の4人の大人は、折り合いがとにかく悪くて、いっつも喧嘩してるんです。
仲良くしてほしいって何度も頼んで、たくさん泣いたけど、それは叶いませんでした。
叶わないことを願っていると、失望ばかりでどんどん辛くなるのですね…。
ある時から私は、もう願うことは諦めて、これ以上傷付かないように「誰も私の気持ちなんてわかってくれないんだ」って心を閉じました。
心ってあまり器用ではないので頭ではわかっていても、家族に対してそう思うと、「人はみんなそうだろうって」思ってしまうんですね。
私は家族以外の人とも、「どうせ人は私を理解しないだろう」という観念をベースにして関わるようになりました。
その関わり方って確かに寂しいんですが、私にとっては当たり前になって「こういう性格だし仕方ないよね」って諦めていました。
そんな寂しさを抱えながらも、大人になって家を出て忙しく働き、ご縁があった今の夫と結婚をして子どもが生まれ、それなりに順調だったんです。
蓋をした寂しさ、夫婦問題で爆発する
ところが、ある時期から夫との間に大きなわかり合えない問題が生まれます。
実はですね、カウンセラーを目指すことを夫に大反対されたんです。
今思えば夫は、自分の妻が、わけのわからない心の世界に足を踏み入れることや、私が心理的な負荷で潰れるのでは?と心配し続けることが、嫌で不安でしかたなかったのだとわかります。
ですが、当時の私はそれを、「否定された」って感じました。
ただやりたい仕事を反対されたのではなく、自分が“こう生きてゆきたい”という思いをないがしろに扱われたような気持ちになったんです。
そして、なんとかわかってもらおうと必死に伝えても、夫の態度は頑なで、夫婦の間にふか〜い溝ができてゆきました。
「伝えても伝えてもわかってくれない。」
あの、蓋をして抑えていた子供の頃の辛かった感情と重なり、心に余裕がなくなります。
私の意識はどんどん閉じて自分の傷に向き、夫を敵のように感じて、孤独な世界に籠っていきました。
カウンセリングで気付けた、とてもシンプルなこと
喧嘩が増えて、その度に売り言葉に買い言葉。離婚するしないにまで拗れ、私の手には負えなくなり、仕方なくカウンセリングに駆け込みます。
夫がどうしたら私を理解してくれるかを知りたかったんです。
けれど、そこで言われたことは全く逆で、私が夫を理解すれば大丈夫ということ。
始めは自分が変わることに納得いかないし、「そんなことで何が変わる!?」て思いました^^;
でも、カウンセリングで自分の色々な気持ちを丁寧に紐解くことで、徐々に心に余裕が生まれて、それまで気付けなかった夫の辛さや寂しさが見えてきたのです。
そして何より。
夫にとって私がどれだけ大切な存在だったのか、大切だからこそ、こんなに心配してたんだっていう、そんな当たり前のことに、やっと気づいたんですね。
そこで感じたのは、「ここまで離れずに居てくれて、本当にありがとう」っていう気持ちでした。
それから私の夫への態度がかわり、それに反応して夫の態度も徐々に柔らかくなり、夫婦の溝がうまってゆきました。
そして私は今、カウンセラーをさせていただき、夫とも毎日楽しく過ごしています。
結果として、あの時のカウンセラーの言葉とおり、私が夫の「愛」を理解することで上手くいったのです。
…で・す・が。
実は私、この問題の中に10年近くも居たんです。
それは、ものすごーく遠回りをしてしまったからでした。
何が、すんなり上手くいかない原因だったのか、そのこともお話したいと思います。
もっと早く変われたのに…。私の3つの遠回り
自分のやり方で粘りすぎた
問題が生まれてから、私がカウンセリングに駆け込むまで、実は6年くらい期間がありました。
なぜかと言うと。
その時既に心のことを勉強していたので、自分の欲しいものは先に与えましょう、とか自分から愛しましょう・理解しましょうって、いつも聞いていて、できているって思ってたのですね。
でも、その時の私の理解とのいうのは、「自分にとっての正しさ」の中での理解でした。私の正しさを超えて夫の愛や価値観を理解するということ、それができませんでした。
なぜなら、夫が私を大好きだからこそ、こんなに心配するんだっていうことが全然見えなくなっていて、ずっと夫を、私の邪魔をする敵だと感じていたから。
敵のために自分の価値観を変えよう、とはなかなか思えないのですね…。
こんな風に6年間も、私は自分のやり方で粘って、1人で孤独を感じ続けていたんです。
ちなみにこれは、何でも自分でやろうとする自立的な人が陥りやすい罠でもあります^^;
感じたくない感情が嫌すぎた
私はカウンセリングを受けて、夫を理解できてなかったのかも…と思い始めてからも、めちゃめちゃ抵抗してました。
素直に認められないのには、それなりの理由があります。
自分の「正しさ」を超えるというのは、けっこう嫌な感情を伴うチャレンジでもあるんです。
私の場合は「頑固でわからずやの夫、夫に反対されながらも頑張っている私」それが正しい事実だと思っていたわけです。
ですから、夫がどれだけ傷ついていたか、私をどれだけ大切に思っていたか、ということを全無視!して、自分の理屈で責めまくってた。
…そんなことは、もうバツが悪すぎて自分がとんでもないひどい奴に思えて、到底認めたくないんですね。
私は、このいやーな感情を感じたくなくて、ずっと夫をただの頑固な敵にしていた、といえるんです。
このような感情を早めに抜けるポイントは、自分に対しても優しい目を向けてあげること。
「確かに私はわかろうとできなかったけど、それにも事情があったよね」
そんな風に自分を許せた時に、私は嫌な感情を抜けられたように思います。
始めの6年間で、夫を傷つけたツケは大きかった
私の態度が変わっても、夫もいきなり「もう100%安心!」とはなりません。
私は自分が正しいって信じていた6年の間に、夫の心をだいぶえぐってしまっていたのです…。
その夫の傷ついた心が回復するのにも、さらに時間が必要でした。
夫も、夫婦仲が回復して少し安心したからこそ、「また俺のことを攻撃するんじゃないの?」とか「あー、あの時こんなこと言われたね」とか、抑えていた色々な気持ちが出てきたりもするのですね。
そして時には私も、その夫の態度にまた腹を立ててしまうこともあり、関係が本当に安定するまでには3,4年くらいかかりました。
皆さんにはぜひ、私のこの遠回りを反面教師にして、早く楽になっていただきたいなって思います…。
誰かとの間の孤独を越えることは、新しい観念を作ること
こんな風に、私の場合は「夫婦の問題を越える」という形で、相手を理解して思いを受け取り、閉じた心が開く経験をしました。
そしてそのことは、夫との関係改善だけではなく、私の深い意識の部分にも変化を起こしました。
最初にお話しした、「私はわかってもらえない、人は私を理解しないものなんだ」という長らく持っていた強い観念が、書き変わったんです。
そうすると、夫以外の人にも、開いた心をベースにして関われるようになります。
自分が先に理解してみようと意識を相手に向けて関わると、それまで感じられなかった“相手が私を想ってくれる気持ち”というのが、すごく入ってきやすくなったんですね。
この一つの変化をきっかけに、当たり前だった私の孤独な世界は、とっても優しい世界に変わり続けています。
心を閉じる前、あなたが欲しかったものは何ですか?
最後に。一番伝えたいことです。
この話は決して「あなたが閉じこもってるからいけない」という話ではないのです。
誰かの心の孤独を、他人がこうだと決めつけることはできません。
けれど、生まれた時から孤独に生きる運命の人なんていない、とも私は信じているんですね。
仮に、どこかで、自分で心を閉じたとしたら。
その前に本当に欲しかったものは何だったのだろう?って聞いてみてあげてほしいのです。
きっとそれは、大好きな人の幸せな顔が見たいとか、ただ一緒に笑い合いたいとか、そんな安心感や優しさ、あなたが誰かを思う気持ちから生まれる思い、だったのではないでしょうか。
そしてそれが手に入らないという失望は、心を閉じるのに十分なほど辛いことだったのかと思うんです。
「自分は誰にもわかってもらえない、誰とも分かり合えない」。そんな孤独感の壁を越えること。
それは、心を閉じる前に本当にほしかったものを、自分に与えてあげることになるのではないでしょうか。
このお話が、心に孤独を感じている方のお役に立てましたら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。