「許し」ってやつを身を以て学んでみた(2)

泉の日記帳

こちらは私が実際に心理学やカウンセリングを通して“ひと皮むけた!”と実感できたお話です。
できるだけわかりやすいように…!と熱が入りすぎて、つい長くなってしまったのですが、私の経験が少しでもお役に立ちましたらとても嬉しいです。

1からの続きです
 
さて。なぜ、「自分に酷いことをした相手を許す必要があるのか?」というお話です。

*
必要があるかないかでいえば、必ず許さなくては!ということではなく「許せた方が自分が楽になれるよ」と理解していただければと思います。

「自分は相手を許せないんです」と、ご自身を責めてしまっている方のお話を伺うこともありますが、許せないのが「悪い」のではなく、心に辛さを抱えたままになるので苦しいということ。
ですから個人的には、許そうと頑張るあまりにできない自分を責めてしまうくらいなら、許しは一旦横に置いて、ご自身の心に余裕を作ることを優先していただきたいな、と感じます。
*
 
誰かに対して「許せない!」という気持ちを抱えている時、私たちは決して良い気分になることはできません。
(「今日は天気も良くてめちゃ幸せだから、アイツを存分に憎もう♪」とウキウキできる人はいないですよね)
誰かを許せずに、恨みや憎しみを抱えている時は、心の中にはどす黒い感情や不快感があるはずです。
 
例えば。
私を散々、都合の良い女として扱い、最後はこっぴどく振った男がいたとします。私がその相手を恨み続けていると、本来は楽しめるはずの時間さえ彼への恨みを握りしめ、いつまでも最悪な気分で過ごすわけです。
 
しかしそんな時、私を振った憎き男が同じように苦しんでいるかというと、おそらくそんなことはないでしょう。とても残念なことですが、あの男は私の気持ちなど関係なく、新しい彼女と毎日を楽しんでいるかもしれないし、苦しんでいるのは私だけなのです。
 
つまり、誰かを許せず憎み続けるということは、「自分が自分に、良い気分になることを許せていない」という状態でもあります。
 
そしてさらに、誰かを許せない感情を感じている時、深層心理の奥には、そんな自分への「罪悪感」がセットになっています。
 
「罪悪感」とは「自分は罰せられるに相応しい」という、自分を悪いものとして扱う感情です。
人の心の本質というのは、どうやら「愛したい」という思いらしく(だから何かを愛している時、私たちはご機嫌になれるのです)、この本質から離れて誰かを「許さん!バチが当たれ!」と思う時には、そんな愛のない自分のことも無意識に責めて罰してしまうのです。

ただこの罪悪感は深層心理(意識できない心の深い部分の思い)の中で感じてることなので、自覚ができないことが多いです。この例の場合だと、表層心理(意識できる思い)で自覚しているのは彼への怒りですが、その奥には「私は彼にこんな扱いをされるのが相応しい女で、良くない人間だ。こんな私が幸せになれるはずがない」という自分を悪いものとして扱う気持ちがあります。
 
しかし誰でも、そんな風に自分を責める気持ちなんて感じたくはないので、表面的にはそれを「怒り」として認識するのです。

ですから、相手を許せない時はよく、「あんな酷いことをしたのだから、許せるはずがないだろう!!」という怒りがセットになるかと思いますが、この怒りは感情の本質ではありません。
自分の罪悪感を感じないための「フタ」なのです。
ですから、まずはその怒りが罪悪感のフタだということを理解するということが必要になります。
 
また、深い部分の深層心理には主語がないといわれています。
表層心理のように主語を判断できないため「アイツが憎い、地獄に堕ちろ!!」と強く思っていると、深層心理は「地獄に堕ちろ」とだけ認識し、自分に対しても同じ思いを向けて無意識に幸せを遠ざけるのです。まさに「人を呪わば穴二つ」。怖いですね〜。
 
つまり私たちは、誰かを罰して許せない時、意識的には「自分の気分が最低」「怒りが収まらない」という嫌な感情を選び続け、無意識の部分でも「自分を罰し続けて幸せにさせない」という作用を引き起こしているのです。

ですからこの場合は、表面的には「あの最低男を許して怒りを収める」ということなのですが、実はそれは「そんな男は忘れて、気分の良い私になる」ことを自分に許すことになるのです。
誰のことも憎んでいない人は側から見ても幸せそうに見える、ということを考えていただくと、わかりやすいかと思います。

 *
そして実は、(1)の1つ目の許しの話、「楽になることを自分に許せない」という心理が作られる原因も、この「自分が誰かを許せていないこと」である場合があります。

誰かを許せない時、投影という心の作用によって「相手を許せないこんな自分は、きっと誰にも許されないだろう」という罪悪感が生まれます。そのために「だから許されるためには、もっと自分を追い込まなくては、完璧でなくては」という心理にも繋がりやすいのです。
 
※投影とは、自分の内側の世界を外に映し出すことで、私たちは日々、この投影を通してあらゆるものごとや人を見ています。同じもの・同じ人を見ても、人によって感じ方や印象が違うのはそのためです。人は自分への自己評価を周りに投影するため、自分で自分を責めていると「人からも同じように責められるだろう」と感じるようになります。
*

しかし、です。
許せない相手が、別れた男のように二度と合わないような相手ならば「もうあんな奴のことは忘れてしまおう、自分に楽になることを許そう」で良いわけですが、家族など関係がより深い場合などは、さらに別の視点が必要になることもあります。

そのような時に必要となるのが、より深い相手への理解です。
おそらくこれが一番、深く難儀な「相手への許し」になるかと思いますが、大変ではあるけれど取り組むことで得られる大きな恩恵も、実はあるのです。

3に続きます