「ダイエットしなきゃ」という感情についてのお話

泉の日記帳

少しずつ暖かくなると。
「そろそろダイエットでもしようかな…」
もしかしたら、そんな気持ちがよぎったりする時期かもしれません。 

あなたは今までに、ダイエットをしたことがありますでしょうか。
もしあるとしたら、その時にどんな気持ちで取り組んでいたでしょうか。

「こんな私じゃ恥ずかしい」
「どうしてあの人みたいに細くないんだろう…」
そんな風に、自分の外見にダメ出しをしてはいませんでしたか?

もしも、そのように自分を否定する気持ちがダイエットの出発点になっていたとしたら。
外見を変える以外にも自分を好きになる方法があるのかも…?というお話です。

「痩せればぜんぶ上手くいく」と思っていた過去の私

さて。私のお話で恐縮なのですが…。
私は過去に色々なダイエットを繰り返した経験があり、まさにそれが冒頭の「自分を否定する気持ちからのダイエット」だったのですね。

思春期の頃、今よりもだいぶ太めだった私はいつも人目を気にして「こんな自分は恥ずかしい」って感じていました。
だから、誰といてもどこか自分から引いているところがあり、なんだかいつも孤独だな…とも感じたり。

私自身が、自分を良いものだとは思えず、心のどこかで「こんな私は人に馬鹿にされるはずだ」って漠然と思っていたのです。
当時、そのような感情の原因は「背が低くて太め」という私の外見なのだと疑いもしませんでした。
だから、「痩せてキレイな私」になることで自分に自信がつけば、嫌な感情が解消されると信じていたのです。

その思いを持って思春期からかなり長い期間、色々なダイエットを繰り返していました。
「このままの外見じゃ、私の人生はお先真っ暗」。そんな風に感じていたんですね。

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必要だったのは、外見ではなく心の変化

今だからわかることなのですが、実は当時の私が嫌っていたのは太めの外見よりも、むしろ私自身の内面でした。

自分でははっきり認識できていませんでしたが、私はずっと自分のことを「個性も中身もないつまらない人間だ」と思い込んでいたようなのです。
そして、そんなつまらない人間だと周りにバレてしまうのが、とても怖かったんですね。

とはいえ、当時の私にそんな心理分析を教えてくれる人はもちろんいません。だから私は、内面を変えるということには思いも至らず、自分のコンプレックスをわかりやすい外見の問題にすり替えていたわけです。

つまり、当時の私にとってダイエットとは「めちゃくちゃ自信のない内面を見た目で補うための努力」でした。

実は当時、私と同じような体型のお友達がいたのです。でも彼女はいつも人に囲まれて楽しそうで、彼もいました。

その時の私はスルーしていましたが、「見た目だけで人生は決まらない」という事実は、すでに目の前にあったのですね…。
「人は見たい様に見て、聞きたい様に聞く」とも言いますが、まさにそれです^^;

結局、一番痩せたい時に私のダイエットは成功しませんでした。

ですが、昔の私はもしダイエットが成功しても、きっと次は「鼻が低い、足が短い」など別の外見の粗を探し続けただろうな、と今では思います。

あの時の私に必要だったのは「外見を変えること」ではなくて「自分を否定する心に変化を起こすこと」だったようです。

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私が見た、最高に素敵なダイエット

一方で昔の私とは全く逆で、自分を愛する気持ちからとっても素敵なダイエットをした友人がいます。
彼女は以前の会社の同僚。いつも自分に素直でイキイキとして見えました。

そんな彼女がダイエットを始めた理由は「何だかこの見た目は私らしくない」と感じたことだそう。
彼女のダイエットの出発点は、大切な自分をもっと素敵にしてあげたいというポジティブな思いだったのですね。

それから数ヶ月、彼女はジムや食事制限を続け、誰が見てもわかる程にスッキリしました。
そして、ダイエットに成功した彼女が言ったのは
「自分のイメージする自分になることがこんなに楽しいとは思わなかった!心の底からやってみてよかった!!」という言葉でした。

この言葉を聞いた時、私はすご〜く幸せな気持ちになったんですね。
きっと、彼女の前向きなオーラを浴びて「私もこんな風に堂々と自分を愛したい」と清々しく感じたのだと思います。

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彼女も私も、やったことは同じダイエット。
けれど、私がしたことは「内面の自己否定を外見で補おうとすること」。
彼女がしたことは「大切な自分をもっと幸せにしてあげること」。

同じダイエットでもそれがどのような気持ちでするかによって、まるで違うものようです。

「自分をもっとワクワクさせたい、幸せにしたい」そんな自己愛からなら、ダイエットは自分を喜ばせる行動になるのかもしれません。

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ダイエットよりも大切かもしれないこと

最後に。
あの「痩せなければ、お先真っ暗」と必死になっていた私が、今は毎日をどう過ごしているかというと。

相変わらず、夏になれば立派な二の腕は顔を出しますし、他にも外見面は歳とともにどうにもならないことが増えてきています…笑。

けれど「私の外見で、私の好きな人たちとの関係は変わらない」そう信じられるようになると、外見よりも私の大好きな人たちを幸せにすることにエネルギーを注ぎたいと思うようになりました。
私の大切な人たちはみんな、私が外見にこだわるよりニコニコとご機嫌でいる方が幸せそうです。

もちろん、綺麗でいたいという気持ちは素晴らしいのです。
けれど、もしその下に今の自分のことを否定する気持ちがあるとしたら。
外見を変えるよりも「心を癒し変化を起こすこと」の方が、幸せを感じる近道なのかもしれません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。