朝のハタ振りから思う、人と関わる効能

泉の日記帳

ある朝の出来事から

我が家の子どもは小学生です。
そのため、私にもあの「PTA活動」というものがあります。

正直、面倒だなって思っておりました。(スミマセン……)

だけど実際にやってみたら、結果として“悪くないな”って思えたんですね。
それはなぜかというと、周りの人と関わることで私の心が動いたことが理由だったのです。

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今年の私のお仕事は、朝のハタ振りです。
年に数日、朝の通学路で黄色い旗を持って子どもたちの安全を守る、という役目です。

普段まじまじとは見ることのない小学生の登校風景、いろんなことを思います。
ああ、今は赤いランドセルの女の子って少ないな、30年前とは違うな
6年生になると、もう私より大きいな
冬でも短パンの元気な子、今でもいるんだな

そんな風に思いを馳せて、横断歩道に立つわけです。

そして、私の勝手な物思いの他に、そこを通る子どもたちや先生、地域の方と接することでも色々な感情が生まれます。

中には、挨拶しても、私が「どうぞ」って言ってもまったく見ずに、自分で車を確認して素通りする子も。そんな時は大人気なく、ちょっとだけ無価値観が刺激されたりもします。(なんという豆腐メンタル…)

逆に、笑顔で挨拶してくれる子、たまに会う先生に「ありがとうございます!」と言っていただけるだけで、今度は心が喜びます。
車で通る人との会釈のやり取りとか、出勤途中の母友とばったり会ったり、とっても小さなことなのですが想定外のことにウキウキできるのです。

人と関わって刺激をもらうことで私の気持ちが動いて、1人では辿り着けない清々しさに出会えた朝。
年に数回なら(ここは大事なのですが笑)、こんな朝を過ごすのもいいな♪って思いました。

人と関わるから、自分を知ることができる

ハタ振りをしながら私は、人に反応して出てくる自分の感情を観察して楽しんでいました。

「人と関わらなければ、自分を知ることはできない」
という言葉があります。
人と関わりその都度出てくる感情によって、自分がどのような人間かが理解できるという意味です。

例えば。ある人が1人で山に籠って日々座禅を組んで心を整えたとします。
「よし!悟った!もう完璧だ!」そう感じても、それは外部の刺激が何もない、自分1人の世界なのですよね。

もちろんそのような修行で、何事にも揺るがない自分自身を見つける人もいらっしゃるかもしれません。

でもほとんどの人は1人の世界で完結しても、いざ他の人と関わって色々な感情に触れると、そのたびに反応が起きるのではないでしょうか。

思いいのほか動揺したり、悲しくなったり。逆にどうしようもなく嬉しくなったり。
他人のことでこんなに喜べる優しい自分も、思いの外イライラしやすい自分も、傷ついたり嫉妬してしまう自分も、1人で居るだけではなかなか発見できないんですよね。

冒頭の私のお話でも、家の中で1人で「面倒だなあ…」と思っていただけならば、あの色々な感情には出会えなかったわけです。
こんな風に、誰かと関わることで自分の心が動く様子を感じることが、私は好きなんですね。

自分の枠を越える、という豊かさ

とはいえ。時には誰かと関わることで、傷ついたり嫌な思いをすることもあるでしょう。
心はナマモノだからその時々で変わることもあるし、確実に100%安全という関係性はないのかもしれません。

自然やモノのように、こちらが一方的に癒されたり、学んだりできるものの方が心理的に安全といえるかもしれません。
(私も気持ちが疲れた時には、ただただ受け入れてくれる海や山が恋しくなったりします)
絶対に人と関わらなければいけない、ということもないですし、今の時代は、最低限の人付き合いを選ぶ生き方も可能ですよね。

ただ、そのような生活で出会えることは、自分1人の世界の枠内のことだけになってしまうので、ちょっともったいないなって思ったりもするんです。あくまで個人的な思い、ですが。

誰かと心を繋げることでワクワクや嬉しさを感じたり、時には傷ついたり凹んだり、その傷を思わぬ別の誰かに癒してもらったり…。
そんな風に自分の枠の外から、色々な感情や成長へのきっかけをもらえることは、1人では辿り着けない豊かさだとも感じます。

人とは関わりたいんだけれども、ちょっと勇気が出ない。
そのような時には、まずは安全な場所として、カウンセリングもお役に立てるかもしれません。

もしあなたが、より深く自分を理解したい、より人生を楽しみたい、より自分らしく生きたい、そんな風に思うならば。

「誰かと関わって、何かを起こして、自分の心をたくさん動かしてみる」ということが、そのカギになるのかもしれません。