“パートナーなのに、なんでこの人は私をわかろうとしないんだろう?”
これは私が長い間、うちの旦那さんに感じていた不満でした。
好きな女が目の前で凹んだり泣いたりしてるのに、共感もしてくれないの?
結局は「自分にとって都合の良い私」が好きなだけなんじゃないの?
何でも言う通りにしろとは言わないけれど、私の本気の訴えくらいはちゃんと受け止めてよ。そんな風にも思っていたんです。
「わかってくれない」を募らせて、どんどん寂しく苦しくなっていた私が、この寂しさから抜け出せた方法。
それは「わかってほしい」という思いを少しゆるめて、ゆとりを持った「双方向のコミュニケーションをする」ということでした。
「夫にわかってほしい気持ち」のちょっと嫌な心理的解説
「わかってほしい」は相手へのコントロール?
パートナーとは何でも分かり合いたいし、全部を受け入れてほしい。
私以外にも、そんなふうに思う方はいらっしゃるかもしれません。
もちろん、お互いを理解したり受け入れ合うことは大切なことなのですが、自分を受け入れてほしい、思いを理解してほしい、その気持ちがあまりに強くなると、それは相手へのコントロール(支配)になり、関係性を悪くやすいのです。
相手をコントロールするということでわかりやすいのは、暴力や脅しを使った上からのコントロールですが、実は「弱さ」を使ったコントロールというものもあるのです。
「私がこんなに傷ついてるのに、あなた何で平気なの…?」というようなことです。
私は旦那さんにも過去のパートナーにも、これをめちゃめちゃやっておりました…^^;
ずっと「パートナーなんだから、何でも理解し合うのは当たり前でしょ」という自分の価値観を、正しいものだと疑いませんでした。
「夫婦はわかり合うもの」は正しいとは限らない
ですが、そもそもこの「何でも理解し合わなければ」というのは私の価値観であって、そこに相手の意向は入ってないんですよね。しかも「理解し合う」とは言いながら、かなり一方的に私が正しいと思う価値観への同調を求めていたりも…。
つまり、その頃の私が納得する「理解し合う」というのは、「私の価値観を全部理解して、私の正しいと思っていることを同じように思って」ということになっていたのですね。
そこに相手の価値観を理解する心の余裕はないので、相手の価値観は「そうじゃなくて」と跳ね除けていました。
そしてひたすら「どうしてこの人は私がこんなに言ってるのにわかってくれないんだろう」と傷付いたり怒ったりしていたのです。
昔、大ヒットした歌に「少しのズレも許せない せこい人間になってたよ」という歌詞があるのですが、まさにその状態。
自分とズレのない100%の理解や共感を、パートナーならできるはずでしょ?って思っていたんですね。
「夫にわかってほしい気持ち」を50%にしてみる
そんな“せこい人間”になっていた私が、過去の反省から今感じること。それは、
50%伝わったらそれで良し!
という思いです。
100%の理解を求めると争いになりやすい
私はこう思っている、こう望んでいる。それをきちんと伝えはしますが、どのように受け取るかは相手次第。
もし受け取れないならば、それは相手に何かしらの理由や事情、または違う価値観があるのです。
(それを私が認めるのが「相互理解」ですね)
全部をズレずにわかってもらおうとすることは、相手の思考を変えようとするコントロールになってしまいます。
そういう時って自分の中に100点の答えがあって、それが出ないと「わかってくれてない!」ってなりがちじゃないですか…?私だけでしょうか…?
そしてお互いに自分の価値観ややり方を通そうとすると、今度はパワーストラグルというどちらが正しいかの「主導権争い」になるんですね。
大切な人と争って戦っていては、楽しく過ごすことはできません。
50%は相手を理解するために使ってみる
50%…?もうちょっと理解して欲しい!もうちょっと共感して欲しい!と思ったりもします。
思ったりもするのですが、その足りない50%は、自分から相手への理解や共感が入る心のゆとりです。
相手に~して欲しい、というのはすべて相手への期待やニーズ(欲求)。もちろん、それが悪いわけではないのですが、自分が相手に何かを求めてコミュニケーションをとる時、それをどれだけ受け止めるかは本来は相手の自由です。(そこを誤解して、わかるべき!って思ってしまうのが、関係性の近いパートナーとの間に起こるワナなのですが)
自分の思いを全部伝えたい、受け取ってもらいたい、その気持ちを引っ込めることが怖い時もあります。自分が譲ったら、相手が調子に乗って苦労するのではないか、そんな恐れが出ることもあります。
けれど、実は長い目で見ると、少し譲っておおらかにいる方が、逆に相手に響くことが多かったりもします。相手も人間なので、コントロールされてると感じれば反発し、収まるものも収まらなくなるんですね。
わかってもらうどころか溝を深めることもあって、これでは本末転倒です。
自分に置き換えるとわかるのですが、もし「相手は本当はこう望んでるのかもしれないけど、私を尊重して無理強いはしないんだな」、そう感じると、自分も優しくしたい気持ちになりませんか?
(あ、別にそういう策略ではないですよ笑)
最後に:私がわかってほしい時、それは夫の思いに気づく時
わかって欲しい、って個人差はあれど誰もがパートナーに求める気持ちです。
自分がわかって欲しい時は相手にもわかって欲しいことが、きっとあります。
そしてそれは、理解しようって意欲を持たないとなかなか気づけなかったりもします。
(パートナーでも人の価値観や世界観って驚くほどそれぞれですから…)
半分伝わればいいかなって思うことは、決して諦めではなくて相手を尊重する優しさと信頼なんですね。
自分の「わかってほしい」をゆるめると、そこにフッと相手の思いが入ってきて、大切なことに気づけることも多々あったりします。
あなたが、50%の気持ちのゆとりを持ったコミュニケーションで、大切な人と幸せに過ごせますように。
最後までお読みいただき、ありがとうございました^^