私さえ我慢すればうまくいく
私さえ我慢すれば丸くおさまる
そんなふうに自分の気持ちを抑えてしまうことはありませんか?
大人になれば、我慢が必要なときもあるかもしれません。
けれどそれが当たり前になると自分自身も苦しく、対人関係にも問題が生まれます。
我慢を続ける心に起きること
相手と一緒にいるのが嫌になる
自分が我慢を続けると、心は相手のことを「私を我慢させる人」と感じるようになります。
そんな人のことを好きで居続けられるでしょうか。
たまにしか会わない知り合いなら、衝突で疲弊することを防ぐ手段にはなるかもしれません。
けれど毎日会うパートナーや距離の近い友達、長く付き合う職場の人間関係で自分を我慢させる人に囲まれたとしたら。
息が詰まって、その人といるときの感情を避けたくなる→会うのが嫌になる、ということが起こります。
自分の気持ちがわからなくなる
人は誰でも本来、「これが好き・こうありたい」という感情があります。
ですが、それを表現できない状況に長くいると、心の中でも望む気持ち自体を否定しがちです。
(実際は心の中で何を望んでも自由なのですが)
また、感情を伝えても否定される経験が重なると、その感情自体を悪いものだと思ったり、無意味なものと捉えてしまうことも。
そして自分の感情を抑えることが当たり前になると、本当の気持ちはどんどん心の奥に隠れてしまいます。
カウンセリングのなかでも、隠れてしまった本音がわからない…というケースがあります。
我慢を手放すことが怖くなる
そもそもなぜ我慢をするのかというと、そうすることで表面的にはうまくいくことがあるから、なのですね。
つまり心はシンドイけれど、何かしらのメリットがあるわけです。
我慢する→物事がうまくいく、関係性がスムーズにすすむ。
この経験が積み重なると「やっぱり自分が我慢すればいいんだ」という意識が強化されることがあります。
(あくまで誤解なのですが…)
そうするといつの間にか、我慢を手放すことが怖くなってしまうということも起こったりします。
我慢が対人関係に起こす困りごと
爆発して人間関係を壊してしまう
これは1番わかりやすい我慢の弊害かもしれません。
日々我慢を重ねることで、あるときダムが崩れるように感情のコントロールが効かなくなってしまうことがあります。
(堪忍袋の緒が切れる、なんて表現される現象です)
湧いてくる怒りの制御が効かなくなり、普段なら言わないような言葉や行動が出ることも。
これは本当は、怒りではなく理解されない悲しみや辛さなのですが、相手からすると青天の霹靂のように感じるのですね。
「いったいどうした!?」と険悪になってそのまま関係性が悪くなってしまうこともあるでしょう。
また、感情が爆発したあとに罪悪感に耐え切れず、自分から関係を切ってしまう…という人もいます。
受動攻撃をしてしまう
受動攻撃というのは直接的に怒るわけではないけれど、いじける・歯切れの悪い物言い・ちょっと嫌味な対応、など相手にとっては不快に感じるふるまいです。
「いつも私が我慢をしている」という不満が蓄積することで、無意識に相手に対してこのような態度を取ってしまうことがあります。
自分は喧嘩を売ってるわけでもないのに相手が不機嫌になる、というとき。
もしあなたに大きな我慢があるならば、その怒りが漏れて受動攻撃になっているという可能性もあります。
(ただ、これは相手の受け取り方の問題のときもあり、ケースバイケースなのですが…)
知らぬ間に相手を見下すようになってしまう
「面倒なことになるから自分が我慢しよう」という感情の処理の仕方を続けると。
我慢や遠慮をしているのは自分の方なのに、いつの間にか相手を下に見ている…ということがあります。
自分が引く側に回るのは、大人な対応です。
けれどそこに我慢がある場合、何度も繰り返されると心の中には怒りや「うんざり」が蓄積します。
そうすると「私が我慢してあげてるから関係が成り立っているんだ」と、相手を下に見る感覚が生まれやすいのです。
パートナーなど心距離が近い人との間でこのような上下の関係になってしまったとき。
愛が循環する心地よい対等な関係から離れ、心の距離が出来やすくなります。
我慢を手放すには
我慢の行動を変える反復練習
もう我慢する自分を辞めたい、と思ったとき。
現実的には「少しずつ我慢の行動を変える」という反復練習が必要になるかと思います。
何かを引き受けすぎる、自分の気持ちを押し込める、相手を優先しすぎる…といった、自分を犠牲にしてものごと丸く収めたり進めるパターンを手放す必要があるんですね。
長年の心の癖でもあるので、始めからスムーズにはいかないかもしれません。
それでも少しずつ、行動を変える積み重ねは必ず変化につながります。
とはいえ、それがなかなかできないから苦労してるんだ!という方もいますよね。
(頭でわかってできていたら、きっとここまで読んでいないですね^^;)
ちなみに、我慢をやめる=溜めていた鬱憤を相手にぶつける、ということではありません。
感情を投げつけると、相手も人間なので関係性はほぼ悪くなるかと思います…。
ではどうすればよいの?というと。
我慢しなければ…の観念を緩める方法
「嫌なのにやめられない行動」の多くには、観念(強い思い込み)が関係しています。
やめたい!と思ってもやめられないとしたら、自分の中に「自分が我慢しなければ…」という観念があるということ。
その観念を手放すことを、深い意識では恐れているんですね。
そのようなとき「自分が我慢しないと…」という言葉に、どんな言葉が続くでしょうか。
多くの場合、そこには「愛されない」「怒られる」「見捨てられる」など、あなたが強く恐れている状況が続きませんか?
これが、我慢のもとになっている観念です。
そのような言葉が浮かんだら、その観念がどうして作られたのだろう?ということを深掘りしてみるとよいかと思います。
いったいいつ頃から、そのように感じているでしょうか。
多くの人は、過去の心の傷から自分にとって窮屈な観念をつくり出します。
昔、自由に振る舞ったら怒られた、受け入れてもらえなかった、ひどく否定された…
そのような状況があったとき、心は「もうあんな思いはしたくない!」と強く思います。
また、子どもの頃から大変な大人を見ていると「自分の気持ちを言うことは迷惑だ」と思い込んでしまったり。
そして、自分の気持ちを犠牲にしてでもやり過ごす、という方法を学びます。
ですが今「我慢がつらい」と感じるならば、それは「新しい学びを得てもいいよ」という声だと思うんですね。
たとえ我慢をやめることで壊れたり失うものがあっても、必ずそこには新しいものが入ってくる、そんなふうに感じます。
このようなプロセスを1人で進めるのは結構大変なので、ときにはカウンセリングもご活用くださいね。
最後に
私さえ我慢すれば…
この思いをもって人と関わるとき、表面的にはうまくいっているように思えても、心の中には犠牲が生まれています。
そして心の犠牲が積み重なると、それは相手との心の距離になって私たちを孤独にしてしまうんですね…。
これ、すごく切ないなって感じます。
我慢の関係性では、心からの安心や喜びを手に入れることはできません。
「我慢しなくても幸せを感じられる相手はいるし、そういう場所はある」
という前提で、自分はどうしたいのかな?ということを、ぜひあなた自身の心に聞いてみてあげてくださいね。
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