対人問題を抜けやすい考え方・拗らせる考え方(1)

泉の日記帳

人間関係で悩む時、同じ悩みでもその捉え方は2種類あります。
それは、主語が「自分」か「相手」か、ということです。

主語が自分というのは、「私は〇〇がうまくいかずに困っている」という考え方、主語が相手というのは「あの人が〇〇してくる、〇〇してくれない」という考え方です。

例えば、主語が自分の悩みだと「(私が)彼や夫とうまくいかなくて苦しい」「(私が)職場で上司とうまく付き合えなくて辛い」など。

主語が相手の悩みとは「彼や夫が優しい言葉をくれない」「職場の上司がいつも怒って自分にキツく当たってくる」などというものです。

どちらも同じ、「相手との関係性がうまくいかない」という状況なのですが、主語を自分にするか相手にするかで、解決のしやすさがまったく変わります。

「私が」悩んでいる、上手くできない、という捉え方ならば、私の環境や行動、考え方など「私」を変えることで解決の道がありそうですが、「相手の」行動や言葉が問題で、問題はすべて相手にあると捉えてしまうと、相手に変わってもらわない限り状況は変わらないのです。
ですから解決することがとっても難しくなり、余計に拗れたり出口のない迷路のように感じてしまうかもしれません。

「過去と他人は変えられないけど、未来と自分は変えられる」という言葉があります。
厳密に言えば、他人を変えることもできなくはないのですが、多くの人は「私は変わらないけどあなたは変わりなさい!」と強制されると嫌な気持ちになるので、あまり上手くいかないことが多いのですよね。(私も、そんな風に言われたら反抗したくなります笑)

変わる気のない他人を変えようと四苦八苦するよりも、自分を変える方が(これも簡単ではないですが)、労力の無駄とストレスが少ないのです。
何より、「自分が変わろう!」と思って主体的に取り組む方が、気持ちも前を向く気がしませんか?

少し乱暴なまとめ方ですが、人間関係の悩みというのは、どんなことでも結局は「自分と相手との関係性の問題」です。
「関係性」なので、今がどんな状況でも、それを作った原因や要因は両方が担っていて、双方にできることはあります。100:0で自分には何もできない、ということはないのです

*

心理学には「アカウンタビリティ」という考え方があります。これは日本語にすると「責任の概念」。だいぶわかりにくいし何だか重い響きですね…。(もともとは経済学分野の用語のようです)

心理学で使う時は「自分の過去の出来事や今の状況をどう捉えるか、その責任はすべて自分にあって自分次第」という概念です。(「悪いことが起きるのは自分のせい」ということではなく「どう捉えるか」の部分に使います)

とはいえ、そんなことを言われても、「嫌なことが起きたら落ち込むのが当たり前でしょ!どうしようもないことだってたくさんあるし…」って思う方の方が多いかと思います。

私も以前は、辛い時にこんなことを言われたら、ぜんぜん納得できないし余計に怒ったり傷ついたりしていたでしょう。

でもこの考えは、自己責任論のように自分を責めるためのものではなくて、「今の状況を良くするために、自分にもできることがあると考えてみよう」ということなのです。
(決して「人として前向きであれ!」ということではなく、「その方が自分が楽になれるよ〜」というニュアンスと捉えていただけると良いかと思います)

色々なパズルのピースの組み合わせで今ができている、そのいくつかのピースは自分が持っていて、自分の意欲次第で変えられるのだとしたら、少し希望が持てませんか?
アカウンタビリティというのは、「自分の人生は自分で選んで変えられる」という、選択の力を与えてくれる考え方でもあります。

*

悩みのどん底にいる時は、「自分にできることなんて何もない!」、そう思う方もいらっしゃるかと思います。
私自身、何か深刻な悩みや心配事があるとつい、自分なんて何もできないのでは…何の力もないのでは…と思い込んでしまいます。

これを「無力感」と言いますが、この無力感にハマっている時って、「こうしてみよう!」という主体的な意思がなかなか持てません。
“自分には何もできなくて、辛くてもこの流れにのまれながら、状況が変わってくれるのを、誰かが助けてくれるのを待つしかない”。そんな心理に陥ることも多いかもしれません。

このようにアカウンタビリティの概念から離れ、「自分には何もできない、何も決められない」という無力感に閉じこもっている状態は、決して「悪い」わけではないのですが、とても「苦しい」のです。

私も、そんな苦しい状態を嫌というほど経験してきました。
実際にあった例を、ひとつお話ししたいと思います。

2に続きます