(2からの続きです)
当時の私ができなかったこと、それはこの問題を「自分の問題として捉える」ということです。
「これはすぐに怒る上司の問題で、私にはどうしようもないから」、そう思い込み「無力な私」という立場に居続けようとしたのです。
「自分には何もできない」というのは、言い換えると「私は無力だからあなたが変わって何とかしてよ」という依存的な態度でもあるのですね。
上司からしても、コミュニケーションを取る意欲のある部下と、私のようにすべて丸投げしてひたすらビビってる部下、どちらが対応しやすいかは明らかですよね…。(もちろん、上司にできたことも他にあったはずで、繰り返しですが「100:0でどちらかが悪い」ということではないのです)
もし、あの時の私が「自分のできることをやってみよう!」と主体的に動いていたら、もしくは「こんな会社はもう辞めよう!」と決めていたら。自分にできることがあると思えていたら、私自身がこんなに苦しい思いをせずにすんだのです。
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「自分軸」「他人軸」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
自分軸の生き方というのは「自分はこうしたい、これは嫌だ」など、認識や選択の基準が自分の意志であることをいいます。
反対に他人軸の生き方というのは、選択の基準が「他の人や世間がどう思うか(そこに自分の意志がない)」であることです。
「アカウンタビリティ」の概念を持って生きることは、言い換えれば、自分軸でものごとを考え、選択したことを自分の責任として受け入れて前に進む生き方と言えるのですね。
そしてこれは(1)の冒頭の、悩みの捉え方にも関係します。
自分軸で物事を考えられると、「さて困った。上手くいくかわからないけど、こんなことをしてみよう!」と、主体的に考えることができて解決に繋がりやすくなります。
逆に他人軸で物事を考えていると、「こんなことをしたら相手にどう思われるだろう、どうしたらよいのだろう?」と、変えられない周りのことを優先してしまうので、まるで出口のない迷路にいるような状態になりやすいのです。
私は長いこと、この他人軸で生きていました。
自分がこうしたい!という気持ちよりも、人にどう思われるか、何て言われるか、どうしたら褒められるか…そんなことをいつも考えて生きている、まさに「THE・他人軸」
物事の判断軸が自分ではなく周りの人なので、何か選択をしても「自分で決めて進んでいる感覚」がなかったのです。上手くいっても自分の自信には繋がらず、うまくいかない時は、心の中で人のせいにしていました。
他人軸で生きている時は、たとえ周りから見てどんなに幸せそうに見えても、それを自分で手にしている実感がないので、「心が幸せを感じられない」ということも多いように思います。
現在の私は、何か困ったことや悩んだ時は、まず自分にこう聞くようにしています。(これは特に人間関係の悩みに限らず、です)
”で、「私は」どうしたいの?”
色々な周りの状況は一旦横に置いて、まずは「自分の気持ち」を聞いてあげるのです。
そして、それを中心に置いて、今の状況でできること・できないことなどを考えます。
大切なのは自分の本当の気持ちと、他の人の気持ちや現実的な状況を、分けて考えることです。
そうすると、状況が困難だとしても「自分はこうしたい」という自分の軸から迷子にならずに、納得して進みやすくなります。
(ただ、長い間人の顔色を伺う生き方をせざるをえなかった方は、「自分の気持ち」を聞いてあげることが難しく、練習が必要な場合も多いように感じます。←経験談です^^;)
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対人関係で問題を抱えている時、大人になった私たちには、それをどう扱うか選択することができます。問題の解決を相手に委ねるか、それとも自分の問題として向き合って行動するか。
自分の人生に起きていることの主導権を他者に委ねてしまうのはもったいないと個人的には感じます。
そして何より相手が問題だと捉えることは、状況を拗らせたり、苦しい状態が長く続きやすいのです。(人として正しいから…ではなく、早く楽になるために、問題の主導権を自分に戻すわけです。)
生きることは、小さなことから大きなことまで、選択の連続。
そして人は本来誰もが「選択する力」や「状況を変えられる力」力を持っています。
たとえ一時的に「無力な自分」に囚われてしまったとしても、そのことに気づきもう一度、自分で決めて進む意欲を持つことができれば、いつからでも「自分で決めて進める人生」にできるのではないでしょうか。
完