アカウンタビリティ(責任の概念)〜人生を選択する力

心理学用語の解説

アカウンタビリティとは

「アカウンタビリティ」という考え方が心理学にはあります。
これは日本語にすると「責任の概念」。
もともとは経済学分野の用語で、一般的には「説明責任」と訳されることが多いようです。

心理学でのアカウンタビリティというのは「起きたことをどう捉えるか、その責任はすべて自分にある」という考え方です。
「起きることはすべて自分自身の選んだ結果」という究極的な考えもあるのですが、例えば「今日電車が遅延したことも自分で選んでいる」とまで捉えると、ちょっとそれは無理がある…と感じる方も多いかな、と思います。

そのため、起きたことそのものよりも、「それをどう捉えるかの責任はすべて自分にあって自分次第」という考え方だと認識する方が、個人的には取り入れやすいと感じます。

そして大切なことは、この概念は否定的な自己責任論のようなことではなく、あくまで「どう捉えるかという選択の力によって、自分の人生を豊かに変えてゆける」という、とても自由で開放的な考え方なんです。

起きたことをどう捉えるかによって、人生が変わる

例えば、仕事に向かう途中、電車の遅延が起きたとします。
それを「ついていない、最悪だ…」と捉え、止まった電車の中でイライラするか、「ちょっとコーヒーを飲む時間ができて悪くない」と捉えて一息つく行動を選ぶか。

同じ事柄でも捉え方によって気分も、その後の行動も変わってくるわけです。
そして、この「どのように捉えるか」という選択の部分は自分の責任なのですね。

電車遅延の捉え方1つで人生は変わらないかもしれませんが、生きているというのは日々小さな選択や判断の繰り返しです。そのチリツモってけっこう大きいと思いませんか?

そして、アカウンタビリティの概念は言い方を変えると、「他の誰か・何かの責任にしない」という考え方だともいえます。

私たちは問題の中にいる時、それを誰かや何かのせいにして責めている限り、事態を変えることは難しいのです。
誰かが・何かが変わってくれないとものごとが好転しないというのは、自分を無力なものとしてちっぽけに扱うことでもあります。

たとえば、パートナーシップでは、「相手が浮気をやめない」「自分のことを大切にしてくれない」そんなケースもあるかと思います。
そのような時、相手を責めたくなったり傷付くこともあるかとは思うのですが、その相手を選び続けているのは誰か、という別角度からの見方ができるんですね。
(ちょっと耳のイタイ話でもあるのですが…)

このような場合、相手を責めたり傷ついていても状況を変えることは難しく、「相手に対するアプローチを変える」、もしくは「相手を手放す」など、自分にできることもあるわけです。
つまり相手次第なのではなく、自分がわることで問題を解決できる可能性があるということです。

今の状況で自分にできることを探す、ベストを尽くす、自分の人生に主体的に責任を持つ。
このように自分の人生の鍵取りをできるようになると問題を越えやすくなり、“問題の沼にはまる”ことが少なくなります。
そして、状況が悪くても自分のベストを尽くすという意識が自然に身につくと、自分の軸がブレにくくなり、望んでいる人生を生きることにもつながります。

責任を持つ=自分を責めることではありません

アカウンタビリティとは決して自分を責める考え方ではなく、「自分の責任で前に進んでいくこと」です。
誰かを責めない、その中にはもちろん自分も入ります。自分を責めている時も、物事は決して良い方向には向かいません。自責も他責も、問題解決の壁になるという部分は同じなんですね。

責任を持つ・責任をとる、というのは自分を責めることとは違います。
問題を越える時に必要なのは、正すところは正して、許すところはきちんと許して前に進む、そんな姿勢なのかな、と思うのです。

問題が多いな、何だか人生がうまくいかないな、と感じたら。
ぜひこの概念を思い出してみてくださいね。