「可哀想な私」になろうとした話

かくれ繊細さんの深掘りLABO

周りの人から思うように愛を得られない、と感じているとき。
愛をもらう手段として「可哀想な私、大変な私」になろうとすることがあると感じます。

私自身が「可哀想な私」を使って愛を得ようとしたときのお話を書いてみました。

私の厄介な意識のパターン

私は6年前に、子宮頸がんで子宮全摘手術を経験しています。
そしてその時期、夫との関係がとても悪くなっていました。

今から6年前、2019年の春頃です。
それまで大病をしたことがなかったので、驚きました。
ですが、同時に「あ〜、きたか……」という思いもあったのです。

その頃、夫との間にとても大きな心の溝があって毎日イライラしたり鬱々としたり…。
自分でも苦しいなっていう自覚はあって。

決してストレスに強くない私にとって、そんな毎日は心の負荷も相当強かったのだろうと思います。

ただ、ですね。

夫婦仲が全然良くならなくて、ただでさえつらい。
そのうえ、ガンにもかかってしまった。
泣きっ面に蜂。

表面的にはそうなのですが、この時期の私の心の中にこんな気持ちがあるような気もしたんです。
「私が可哀想なことになったら、夫は心配して優しくしてくれるのではないか…?」

昔、社会人1年目に、仕事で毎日怒られてつらい時にはこんなことを考えていました。
「私がこの電車に飛び込んだら、あの上司は反省して後悔するのかな」

私には「可哀想な自分を見せることで相手の心を動かそうとする」という意識のパターンがあるようでした。

病気が見つかって可哀想な私をどこかで歓迎する感覚を感じ「もし、病気になっても夫が変わらなければ、私はもっとひどくなることを望んでしまうのでは…」
そんなことも頭をよぎりました。

不幸で現実は変えられなかった

ただ、現実は私が自分の不幸を使って変えようとした(かもしれない)ことは変わらずでした。
検査結果を知らせたときも、夫はテレビを見て背中を向けたまま、私が望むような優しい態度はもらえず。
(夫が無関心だったわけではなく、心の溝を感じている妻の深刻すぎる状況にどうしていいかわからなかった、ということなのですが)

この反応に、当時の私は絶望しました。
こんな可哀想な私でもダメなんだ、優しくしてもらえないんだ……。

さらに「このくらいの可哀想では夫は変わってくれないのか」なんてことまで頭に浮かんで、自分のことがよくわからなくなってしまったんですね。

ガンになっただけでもじゅうぶん大変なのに、これ以上の不幸を望んだらいったいどうなってしまうのか…。
あのときは、頭も気持ちもぐちゃぐちゃだったと思います。

自分の意識ときちんと出会う

いよいよ1人じゃヤバイかも……そんな気持ちが募って、私は今までとは違う行動をとりました。
それはカウンセリングに助けを求める、ということです。

それ以前もメンテナンスとしてたまに利用してはいましたが、夫婦仲が拗れているというだけでは、お金を払って人に本気で助けを求めるハードルは越えられませんでした。
まだ自分でなんとかできるって思っていました、めちゃくちゃ心はしんどいのに。
結果として行動に移せたのは、病気を歓迎する自分の心への怖さでした。

病気が良いものだとは思いませんが、ガンという見えやすい苦しさが現れたから、自分の不幸を見せることで夫を変えようとする自分の意識にビビって、助けを求めるきっかけになったともいえます。

カウンセリングの中でわかったことは、私の心には「ただ楽しい私のままでは愛されない、大切にされない」という観念があったことです。

もともと「私はすごく頑張らないと認められない」という自分への不足感が強くあり、自分のほしいものを得るためには自分のやり方で必死に頑張ります。

だけど、頑張っても自分の力ではどうにもならないときもあるんですよね。
そんなときには「もう可哀想な私、ひどいことになった私」になるしかない…
まるで捨て身戦法のような意識が出るのが、私の心理パターンだったようです。

病がくれた変化のきっかけ

だけど現実は、可哀想な自分になっても何も解決しなくて、私は苦しいままでした。
このやり方であれ以上突っ走らなくてよかった…と、今は本当に思います^^;

私はどうにもならない状況を変えたくて、夫に「可哀想な私」を見せつけることで相手の理解や優しさを引き出そうとしていました。

不幸な自分を使って、相手をコントロールしようとすること。
これはうまくいくことが少ないですし、たとえ一時的に優しくされても「私は不幸じゃないと優しくされない」という意識はなくならず、むしろ強化されてしまうかもしれません。

きっと次のうまくいかないことに対しても「不幸な私」を使おうとするパターンが現れます。

自分を苦しくするパターンに気づく。
そして「可哀想な私にならなくてもいい、楽しい私でも愛される」という意識に書き変える。
「楽しくいられる私」で相手をもう一度見てみる、愛してみる。

このことにカウンセリングで取り組むきっかけをくれたのが、病気でした。
そして、今までのものの見方とは違う見方、私の自分のやり方とは違うやり方を教わることで私の意識が変わり、結果として出口が見えなかった夫婦の溝の改善にも繋がったんですね。

私が自分の不幸から得ようとしていたものは、私の意識が変わるという、想定外の違う方法で手に入りました。

最後に〜不幸を手放すことで生まれるもの

心が弱るほど、何をしてもダメだって追い詰められるほど、自分の弱さを使って誰かを動かそうとしがちなのかもしれません。

だけどそのやり方で、根本から幸せになることは難しい…と私自身は痛感しました。
相手に罪悪感を感じさせるという意味でもうまくいかないし、自分で自分を不幸だと認定してしまうわけです。
可哀想な私を訴えて相手が変わることでのみ救われる、これはあまりにも相手次第で、しんどい状態ですよね…

つらさや苦しさは、個人の持つ感情としてきちんとケアされるべきもので、人へのコントロールに使うことで根本的に満たされることはありません。
「不幸な私」ではなく、「楽しくいても愛される私」「自分で幸せを選べる私」だと感じられることで、周りへの影響力が変わって、現実は変わります。

「可哀想な私」を使って人を変えようとするとき、心には「こんなに頑張ったのにどうにもならなかった」という傷があります。

心が傷だらけで苦しくてたまらない感じたとき。
その傷は適切な方法で労ってあげる、そして「もっと楽にうまくいっていいんだよ」と自分自身を変化させることを、そろそろ許してあげても良いときなのかもしれません。

誰しも、不幸を使わなくても愛されるし、自分で幸せを選んで進む力は必ず持っていますからね。

最後までお読みいただきありがとうございました^^

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